「働かざる者食うべからず」は多くの人が一度は耳にしたことのあることわざですが、その本当の意味や由来、現代における解釈について誤解されていることも少なくありません。
この言葉は聖書に由来し、「怠けて働こうとしない人は食べてはならない」という意味を持ちますが、その解釈は時代とともに変化してきました。
本記事では、この言葉の正確な意味から歴史的背景、よくある誤解、現代社会での受け止め方まで、多角的に解説していきます。
「働かざる者食うべからず」の正しい意味
「働かざる者食うべからず」という言葉を聞くと、少し厳しい印象を受ける方も多いでしょう。この言葉が自分に向けられた時も、誰かに対して使われるのを見聞きした時も、あまり良い気持ちがしないことが多いものです。では、この言葉の本当の意味とは何なのでしょうか。
「働かざる者食うべからず」は、「怠けて働こうとしない人は、食べてはならない」という意味を持ち、徒食(働かないで遊びほうけること)をいましめる言葉として知られています。この言葉の対象となる「働かざる者」とは、働く意思がなく怠けている人を指しており、重要なのは、病気や何らかの事情によって「働きたくても働けない人」は対象としていない点です。つまり、単に働けない状況にある人ではなく、働く意欲や姿勢を持たない人に対する戒めの意味合いが強いのです。
この言葉は労働の重要性を説く教えであり、口語訳では「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」とされています。食べ物は生きていくために必要な基本的なものですが、それを得るためには適切な努力や仕事が必要であり、何もせずに座っているだけの人が同じように食べる権利を持つわけではないという考え方を示しているのです。
歴史的背景と由来
「働かざる者食うべからず」の由来は、新約聖書にあります。具体的には、イエス・キリストの弟子であるパウロが、テッサロニキ(ギリシア北部のエーゲ海に臨む港湾都市)の信徒に宛てた書簡に記されています。
この書簡の中で、パウロは「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と記し、日常の労働を大切にし、まじめに働くことを奨励しました。この言葉が「テサロニケの信徒への手紙二」に由来していることは、広く知られています。
ただし、パウロ本人が実際にこの言葉を語ったかどうかについては諸説あり、明確な結論は出ていません。歴史的な文脈の中で、この言葉がどのように解釈され、伝えられてきたかを考えることも重要です。
興味深いことに、この言葉は旧ソビエト連邦の初期の憲法にも採用されました。ソビエト社会主義体制では、「人間による人間の搾取、社会的諸階級および私的土地所有の廃止」の原則と共に、「働かざる者食うべからず」の原則が掲げられていました。これは、社会主義思想における労働の価値観や、共同体における各人の役割の重要性を強調するものでした。
よくある誤解と解釈の問題点
「働かざる者食うべからず」は、しばしば誤解や拡大解釈されることがあります。最も一般的な誤解は、この言葉がすべての非労働者を対象としていると考えることです。しかし前述したように、この言葉が対象としているのは「働く意思がなく怠けている人」であり、病気や障害、高齢など、やむを得ない事情で働けない人々を非難するものではありません。
また、この言葉が単なる労働強制や過剰な勤労美徳を説いていると解釈するのも誤りです。本来の意図は、個人の自立や社会への貢献の重要性を説くものであり、無理に労働を強いるべきだという主張ではありません。この言葉は、働くことが個人の尊厳や社会への貢献と密接に関わっているという価値観を反映しているのです。
さらに、この言葉を用いて他者を批判する際には注意が必要です。「働かざる者食うべからず」は、時としてハラスメント行為につながる可能性もあります。他者の状況や背景を十分に理解せずに、安易にこの言葉を用いることは避けるべきでしょう。
「働く」の定義と時代による変化
「働く」という行為の定義は、時代とともに大きく変化してきました。太古の時代には、働くことは狩猟採取などのように食べることに直結していましたが、農業の開始などによって分業化が進むと、働くことの定義は多様化していきました。
原始的な社会では、食べ物を得るための直接的な労働(狩猟や採集)が「働く」ことの中心でした。しかし、農業革命以降、社会が複雑化するにつれて、労働の形態も多様化しました。猟師として働く人もいれば、農家として働く人もいますし、役人として働く人もいます。
現代社会では、さらに「働く」という概念の幅が広がっています。例えば、eスポーツのようにゲームの大会で賞金を稼いで生活する人や、YouTuberのように面白い動画を投稿することで生活費を稼ぐ人など、従来は「仕事」とは認識されていなかった活動が、正式な職業として認められるようになってきました。
このように、「働かざる」の定義や範囲は時代によって変化し、特に現代は変化のスピードが非常に速いため、今日は仕事とみなされていなかったことが、明日には仕事とみなされる可能性もあります。こうした変化を踏まえると、「働かざる者食うべからず」の解釈も、柔軟に考える必要があるでしょう。
実用例と使われ方
「働かざる者食うべからず」は、様々な場面で使われています。この言葉がどのように用いられるのか、具体的な例文を通して見ていきましょう。
教育的な場面での使用例
「小学生の頃、スマホのゲームに熱中していたら、あっという間に時間が経ってしまい『働かざる者食うべからず。少しはお手伝いをしなさい』と、叱られたなぁ。」
このケースでは、教育的なしつけの意味合いで使われています。子どもが遊びに夢中になり、家事の手伝いなどをしないことを諫める言葉として用いられていますが、時に語気が強まった言い方になることもあるため、使い方には注意が必要です。
忠告としての使用例
「もし、宝くじが当たったら、仕事を辞めて、旅行三昧をしたいと話をしたら、『働かざる者食うべからず。宝くじが当たることを当てにしないで、汗水流して働いて、お金を貯めて旅行しなさい』と、忠告された。」
この例では、労働の価値や努力の大切さを伝える忠告として使われています。「お金は苦労して稼いだほうが価値がある」という考え方に基づいて、安易に楽をしようとする姿勢を戒めているのです。
文学的な参照としての使用例
「イソップ寓話の『アリとキリギリス』を読んで、『働かざる者食うべからず』という言葉を思い出した。」
この例は、文学作品への言及として使われています。『アリとキリギリス』の教訓(将来のために備えることの重要性)と「働かざる者食うべからず」の教えが共通していることを指摘しています。
批判的な使用例
「働かざる者食うべからずというが、いつまで親の脛をかじるつもりか。」
この例では、ニートや引きこもりなど、社会的に自立していない人に対する批判的な文脈で使われています。親に経済的に依存し続ける人に対して、自立を促す厳しい言葉として用いられています。
家庭や職場での使用例
「働かざる者食うべからずという父の方針のもと、家族全員役割が与えられていた。」
この例では、家族の価値観や方針を表す言葉として使われています。家族全員が何らかの役割を持ち、貢献することの重要性を示しています。
類似のことわざと表現
「働かざる者食うべからず」に類似した表現や関連することわざもいくつか存在します。これらを知ることで、労働や努力に関する日本の価値観をより深く理解することができるでしょう。
無為徒食(むいとしょく)
「無為徒食」とは、何もしないで、ただ無駄に毎日を過ごすこと、意味もなく時間を費やすことを意味します。「働かざる者食うべからず」と同様に、怠惰な生活を戒める言葉ですが、より具体的に「何もせずに食べる」という状態を表現しています。
現代社会では、私たちは日々様々なストレスにさらされており、時には「ぼーっとしたい」という気持ちになることもあるでしょう。しかし、時間は誰にも等しく1日24時間しかなく、あまりにも長く意味もなく時間を費やすことは避けたいものです。
「アリとキリギリス」の教訓
イソップ寓話の『アリとキリギリス』は、「働かざる者食うべからず」と共通するテーマを持っています。この物語では、夏の間遊び暮らしたキリギリスと、冬に備えて食料を貯えていたアリが対比されています。
冬が来て食べ物に困り果てたキリギリスの結末には複数のバージョンがありますが、アリから食料を分けてもらえず凍死してしまうという最も厳しい結末では、「後先を考えずに過ごすと、後で後悔する」という戒めのメッセージが込められています。
これは「働かざる者食うべからず」と同様に、自分の行動に責任を持ち、将来を見据えた生き方の重要性を説いているのです。
「衣食足りて礼節を知る」
「衣食足りて礼節を知る」は、「基本的な衣食が満たされて初めて、道徳や礼儀を考える余裕が生まれる」という意味のことわざです。
「働かざる者食うべからず」とは異なる視点から労働と生活の関係を捉えていますが、生きるための基本的欲求と社会的行動の関係性について言及している点で関連性があります。
宗教的視点:仏教と禅の解釈
「働かざる者食うべからず」は、仏教や禅の思想とも関連があります。特に禅宗では「働く」ことに独自の解釈を与えています。
禅でいうところの「働かざるもの食うべからず」とは、どんなにお金持ちで不労所得があろうと、どんなに貧乏でお金がなかろうと、毎日働かなくてはならないという教えです。ここでの「働く」は必ずしも経済的な意味での労働だけを指すのではなく、精神的な修行や自己啓発、社会への貢献など、より広い意味での「活動」を含んでいます。
禅宗の開祖とされる道元禅師は、修行僧たちに「一日不作、一日不食(いちにちふさ、いちにちふじき)」という言葉を残しました。これは「一日働かざれば、一日食うべからず」という意味で、日々の労働の大切さを説いています。道元にとって労働は単なる生計を立てる手段ではなく、修行の一環であり、悟りへの道でもあったのです。
この視点から見ると、「働かざる者食うべからず」は単に経済的な自立を促すだけでなく、人間としての在り方や、日々の活動を通じた精神的成長の重要性を示唆していると解釈することもできるでしょう。
他言語での表現:英語など
「働かざる者食うべからず」は日本だけでなく、世界各国で類似の表現が存在します。特に英語では、この概念はどのように表現されているのでしょうか。
英語では “He who does not work, neither shall he eat.” という表現が「働かざる者食うべからず」に相当します。これは直訳すると「働かない者は食べてはいけない」という意味になります。この英語表現も、聖書の同じ箇所に由来しているため、意味合いは日本語のことわざとほぼ同じです。
また、英語には “No pain, no gain”(苦労なくして得るものなし)や “You reap what you sow”(蒔いた種は自分で刈り取る)といった表現もあり、努力と報酬の関係性について言及しています。これらは「働かざる者食うべからず」と完全に同じではありませんが、行動と結果の因果関係を強調するという点で共通しています。
文化によって労働観や価値観は異なりますが、多くの社会で努力や貢献に対して正当な報酬があるべきだという基本的な考え方は共有されていると言えるでしょう。
まとめ
「働かざる者食うべからず」は、新約聖書に由来する言葉で、「怠けて働こうとしない人は食べてはならない」という意味を持ちます。この言葉は、単に労働を強制するものではなく、自立や社会への貢献の重要性を説く教えであり、個人の尊厳や責任と密接に関わっています。
重要なのは、この言葉が対象とする「働かざる者」は、病気や事情により働けない人ではなく、働く意欲のない怠惰な人を指すという点です。時代によって「働く」の定義は変化しており、現代社会ではその範囲はますます広がっています。
また、この言葉は時として誤解や誤用されることもあり、他者を批判する際には慎重に用いる必要があります。宗教的視点や類似表現との比較を通じて、この言葉の多面的な意味を理解することが大切です。
「働かざる者食うべからず」は厳しい言葉に聞こえますが、その本質は個人の自立と社会全体の健全な発展を促す重要な教えです。現代社会においても、この言葉の真意を汲み取り、バランスの取れた労働観を持つことが求められているのではないでしょうか。